ボトムアップのファシリテーター

 長かった夏休みもようやく終わりに近づき、キャンパス内は騒然とし始めた。先週、私の所属する学生部の主要メンバーが集まり今後5ヵ年の学生部改造計画を話し合った。カウンセリング課、財務課、登録課、記録課など学生に対して様々なサポートサービスを提供する全ての課の寄り合いが学生部である。最近赴任してきた新学生部長は若干34歳ながらスクールカウンセラーのバックグラウンドと他の大学での学生部長をした経験を生かして、なかなかに革新的な指導をする。といっても伝統的なトップダウンのそれではない。むしろ逆のボトムアップ、職員のランクを無視して下の意見を救い上げる平等管理主義☆☆のそれである。例えば、彼のミーティングのやり方にはその精神がことごとく表れている。
友人宅で居酒屋ごっこ

 各課のトップ(課長)はミーティングに呼ばず、学生アルバイトなど最下層にいる職員を中心に参加メンバーを構成する。「最前線で日々学生と接しているラインスタッフの声が聞きたい」からという。また、課長クラスを呼ばなかった理由は「皆の腹を割った本音が聞きたい」。上司に気兼ねするな、ということである。
 ミーティングの進行方法もきわめて特徴的。参加者全員の声を救い上げるよう、また内気な人でも気軽に意見を述べられるようにとグループワークを頻繁に取り入れる。グループはたいてい5人までで各グループの結論はリーダーが発表するが、その結論の中には内気な人の意見も入っているというわけだ。多弁な仕切り屋に対しては得意のカウンセリング技術で「それはいい意見だ」とさっと言った後でやんわりと他の方向へ話題を変えたり、余り発言していない職員に向かってさりげなく体の位置を向けて発言することがないかどうか目線などで合図する。
 そして何よりも自分自身は必要でない限りはほとんど黙っている。たぶん彼の話す時間はミーティング時間の20%未満。グループそのもののダイナミクス(内から自然に生まれる有機的な動き)を最大限に生かそうと客観的にグループの流れを見守る。「僕はリーダーじゃなくて、ファシリテーター☆☆☆」というのが彼の自分の役割を指しての弁。もちろん陰ではトップとしての様々な決断を日々しているに違いないが。自分より下の人に対してこう堂々と言える「リーダー」は、アメリカでも景気によらず好成績を挙げ続ける会社の共通点として最近注目を浴びている。

☆学生課―Division of Student Affairs
☆☆平等管理主義―Egalitarian Approach
☆☆☆ファシリテーター―Facilitator

瞑想とカウンセリング

 最近ふとしたことがきっかけで、近所で開かれている座禅の会に参加し始めた。毎週土曜日の朝、鬱蒼とした森林の中の貸し別荘の道場を借りている。もともとヒロで長く座禅会を主事しているアメリカ人夫婦が、50キロ離れた山里ボルケーノ村に住む知人の要請と場所提供者の厚意があって始めたものだ。このご夫婦は、日本の禅寺で修行して印可をもらいアメリカに初めて臨済禅をもたらした故ロバート・エイケン老師の高弟だからその教えの信憑性は血統書つき。土地柄を反映してボルケーノ村の参加者は自営業や芸術家が多いのだが、ヒロやアメリカの他の都市では様々な職の人が参禅しているという。そういえば、昨年亡くなったアップル社のスティーブ・ジョブズ氏も熱心な禅の信者だった。傍目には、スピードと効率と日進月歩の技術開発が命であるIT企業の最先端をいき人生を駆け抜けるようにして逝った彼も、心は無の境地になることでバランスをとっていたのかも知れない。
久しぶりに帰国した日本でいただいた昼食。新宿の「農家の台所」にて

 ボルケーノ村の座禅会を主事している奥さんのヴィッキーさんは臨床心理学者なのだが、座禅会の主事を担う人にはどういうわけか心理学の分野の人が多い。私が以前住んでいたサンフランシスコ近辺の座禅会でも2つの会が心理学者と臨床心理士によって開かれていた(ただしこれは禅とアジアの影響を多大に受けている西海岸の土地柄かもしれない)。ヴィッキーさんによれば今年の全米心理学会の20のプレゼンテーションのうち5つまでが座禅(メディテーション)による心理療法についてのものだという。自閉症や重度の行動障害のある人の治療にメディテーションが効果があることを科学的に実証しているのだそうだ。これまで問題行動に対する療法と言えば、いいことをしたら褒美をあげて悪いことをしたら罰するという賞罰法や、デセンシタイゼーションといって徐々にのぞましい行動に慣れさせるなど、行動療法が主流だったのだが、メディテーションを取り入れた療法ではいいことも悪いこともその人の真実としてうけとめる。これ以上の詳しいことは私自身の勉強不足で今は書けないが、座禅会のあとのヴィッキーさんの話はこのような興味深いものだった。
 俗世を離れ山にこもった修行僧のする座禅というイメージがあったが、アメリカでは俗人がよりより暮らしを求めて手軽に始められて(もちろん解脱に至るには途方もない修行が必要)複雑な心理や行動の問題の解決にも役立ってきている。日本(アジア)のお家芸をあらためて見直している。

陪審制度の教育的意義

 近所の友人ローラが最近興味深い話をしてくれた。この半年間、彼女は月一回ハワイ島の反対側にあるコナまで陪審審理の義務に出かけているという。陪臣に選ばれた人は皆その日は公休をとって仕事を休む。アメリカでは長いこと国民の義務として定着している制度だが、その内容はいろいろあって大きな刑事事件の公判に一度、二度出ればよい場合もあるが、小さな民事事件の審理の場合は月に一回一年間の義務など、形式は多様だ。以前、私の同僚は非常に複雑な背景の殺人事件の公判陪審審理で一ヶ月も仕事を休まなければならなかったことがあった。これに反してローラの場合は、月に一日で一年間、市井で起こった様々な軽罪の審理を扱う。
 ローラの陪審義務体験談を聞いていて、それまで陪審制度について余り知識がなかった私が感銘させられたことがいくつかある。一つは、検事が陪審団の中からより社会経験があり教育の高い人を指名して、若手や審理の内容の理解が難しい人たちを助ける役目につけるということ。非公開の審理の間にローラは若者たちや審議内容が理解できない人たちにいちいちわかりやすく説明するのだという。非常に相互扶助的、教育的なシステムである。
コナの海岸でバーベキューした魚とサラダとワインで極楽ディナー

 二つ目は、教師だからなおさらにこういう感じ方をするのだろうが、「いろいろな罪状を聞いていると、社会のシビアな現実を目の当たりにして驚くことも多いけど、大半の内容は今自分が毎日接している(学校の)子どもたちがどういう家庭環境や地域で育てられているのか、その現状が良くわかっていい」というローラの視点である。母と娘が殴り合いのけんかをした末に双方とも傷ついて、送られた病院の急患でも罵詈雑言を吐きつづけ応対した医者にまで凶器を振るった話とか、背筋が寒くなる話を聞かされても、そう思うのだという。
 社会のどん底に澱のようにたたずむ暗い家庭の真実を市民に真っ向から見つめさせ、その解決を考えろ、とまでは言わないまでも、自分たちの生きる地域の問題を身近に理解させる機会を与えるのが陪審制度なのだ。陪審制度は社会の縮図を見せる、社会教育の場なのだ。

知的障害者の大学進学

 2008年に高等教育法が改正され、知的障害のある生徒の大学進学を促進することになった。とはいっても小学校過程の読み書き計算でさえ難儀するのが「知的」障害なのだからどうやって大学の授業などわかるのか、と思う人は多いだろう。事実、私の勤めるヒロのコミュニティカレッジ内でも議論噴出中で、どうやってどのクラスを履修させてどうサポートするのか、など難問が山積みである。英作文や数学など重点学科の教官などは大学レベルの内容をどう「知的」障害者に教えるのか、そもそも教えるに値するのか、などで頭を悩ませている。
 しかし、このような狭い視野で議論を続けていても結論は出ないことはすでに証明されている。イリノイ州のコミュニティカレッジでは、学科中心の授業を履修させるだけでは知的障害者が大学生としては成功できないことを悟り、創意工夫のあるキャンパスプログラムを5年ほど前から始めている。それによると、学科だけを履修することではなく、いかに普通大学のキャンパスで普通の学生に混じって普通の大学生活をエンジョイするか、に知的障害者の大学進学の意義があることに注目している。いわばメインストリーミング、インテグレーションの思想だ。そして、上記の高等教育改正法の中で規定されている「知的障害者の大学進学ための包括的高等教育プログラム」☆☆を利用し、「キャンパスにいる時間の半分以上を一般学生と共に活動し」さえすれば普通学生と同様に、奨学金や授業料援助などが受けられることを盛んに宣伝して知的障害者の入学率アップに貢献している。


義理の姉がカリフォルニアから遊びに来たのでコナ一緒に行って来た。目の前がこういう景色のコンドミニアムに宿泊。水平線には今にも沈む太陽。壁の上にはワイングラス。ああ極楽...

 イリノイ州ルイス・クラーク・カレッジやハーパー・カレッジ、ウィスコンシン州のエッジウッド・カレッジなどはその先陣を切って、今では10―20人の知的障害学生が学ぶだけでなく、キャンパスジョブ(大学構内でできるアルバイト)をしたり、や芸術・体育などのクラスを中心にメインストリーム「活動」をすることによって大学生活を謳歌している。その成功の裏には、学生や家族の強い大学進学への意思だけでなく、学科長・学部長・学長など管理層レベルの強いサポートがあったことは特筆すべきだ。
 学科の勉強だけではなく、大学生活全般に視野を広げて考える必要性のあることをこれらの成功例は物語っている。それに、様々なレベルや立場の人とのネットワーキング力、サポートスタッフが法律などを完全に理解して正しく活用する能力のあること。やはり立派な法だけがあっても実際はなにも始まらない。

☆ Higher Education Opportunity Act of 2008
☆☆ Comprehensive Transition and Postsecondary Program

高校生から大学生への劇的変換

 先週、高校卒業生の大学進学に関する秀逸なオンライン・ライブ講座があった。これはAHEADという全米の教育組織が主催したもので、講師はオハイオ州シンシナティのコミュニティ・カレッジで障害学生サービスセンターのディレクターをしているジェニファー・ラッドさん。
 アメリカには、高校卒業生なら老若男女誰でも入試なしに入れるコミュニティ・カレッジという2年制の大学がある。これはいわゆる日本の短期大学というよりは、4年制総合大学の前半2年の一般教養科と考えたほうが近い。で、問題は入試がないから猫も杓子も入学してくることになって、大学に入ったはいいが、講義についていけずドロップアウトする学生が多数出ること。私の勤めるハワイ・コミュニティ・カレッジでも近年の卒業率(3年以内)は2割強。これでもハワイ州の全平均よりは高いのだが。
 話はそれたが、この厳しい大学生活をどう学生がサバイブして卒業までこぎつけるか、またどうやってそれを講師・スタッフ陣が手助けするかが、ここ数年のトップ懸案だ。とりわけ高校生活から大学生活への劇的変化にどうスムーズに適応させるかが筆頭テーマである。障害のある学生ならばなおさらのこと。なぜ劇的変化なのかといえば、高校までは障害児教育法☆☆により、1)親や教師がすべてお膳立てしてくれる、2)学校側が障害生徒を発掘してそのサポート内容をすべて決める、のに対し、大学では1)学生自身が障害のあることを証明し、サポートサービスがほしいと自分から言わなければならない、2)どういう内容のサポートサービスがほしいのか、自分の障害がどう学業に影響するのか、自分の障害についての精密な理解とそれを他人にわかるように説明できなければならない、からである。人間は子どもから大人へと変わるのに一朝一夕にはいかないのに、教育システムや法だけはそれを要求する。
このオンライン・ライブ講座では字幕がついた。スクリーンのどこにでも映せて便利


 そこで先のAHEADという組織でもセミナーやワークショップで、どうやって障害のある高校生から大学生への変換ををうまく遂げるか、よくディスカッションしている。障害のある高校生の進学を援助するポイントとしてラッドさんが列挙した中で特に強調したのが以下の2点である。 
 1.障害サービスサポートセンタースタッフのアウトリーチ活動
 2.高校における大学進学フェア
 1は、高校生活と大学生活には劇的な違いがあるから、その違いを高校生のうちに何度も説明して理解させること、そのために大学の障害サービスセンターのスタッフが高校へアウトリーチに出かけることが大事だ、ということ。生徒の個人教育計画☆☆☆の会議によばれたりしたらぜひ参加せよ、という。高校生のうちから障害生徒の経歴をつかんでおくとあとで役にたつからだ。そのためラッドさんも忙しい時間をやりくりしながら高校へよく出かけるという。
 2は、高校の先生たちと協同で高校における大学進学フェアを開催すること。全生徒・保護者を対象にした全体説明会のあと、学習障害・知的障害・自閉症・注意欠陥多動症など、障害別の分科会などを開いて保護者の意見や質問を直接受けられるようにする。保護者側も大学にはどういうサポートサービス体制があるのか、子どもが高校生のうちからわかってより安心できるという。日本と違ってアメリカはメインストリーミングが進んでいるが、日本の特別支援学級でもこれはできると思う。
 いずれにしても法が整っているだけでは障害のある生徒がうまく大学生活を送れるわけではない。高校生から大学生への劇的変換をさなぎの脱皮の如く遂げることを求められているのだが、昆虫のように自然本能ではできないからそれを手助けするのが障害学生サービスセンターの重要な役割なのである。

AHEAD−Association of Higher Education And Disability(高等教育と障害に関する研究とネットワーキング推進のための全米組織)
☆☆障害児教育法−Individuals with Disabilities Education Act(IDEA)
☆☆☆個人教育計画−Individual Education Plan (IEP)

アグネスのアドボカシー力

 3日は今年度最後の授業だった。これから一週間は期末試験週間となって10日に2011年度が終わる。その後約3ヶ月、学生と教師は長い夏休みに入る(が、私は通年勤務なので夏も働く)。
 授業最終日に学生が次々にラボに来て「ハブ・ア・グレイト・サマー」(良い夏休みを!)とお互いに言っては去っていった。そのうちアグネスが「とてもいいニュースがあるの」といいながら入って来た。「あの駐車違反の切符、25ドルにまけてもらえたの」と言う。そういえば一ヶ月くらい前に「250ドル(約2万円)の違反」と書かれた紙を手にしてパニック状態で彼女がラボに来たことがあった。その時、学生アルバイトと私とでハワイ大学の駐車場管理課に嘆願書を書くのを手伝った。その手紙が功を奏したらしい。内容は、彼女には内部障害があって障害者パーキング場に駐車できる許可証を所有しているのだが、たまたまその日は病気で頭がボーっとしていたのでそれをバックミラーに掲げるのを忘れてしまった。これからは十分に気をつけるので今回は斟酌してほしい、と言うようなもの。その手紙に有効期限内の障害者パーキング許可証のコピーを添付して提出したのだった。「25ドルとはちょっと残念だったね。もう一回手紙書いてみる?」と私が促すと「いやいや、250ドル払わされるところを25ドルにまけてくれたんだから十分満足。助けてくれて本当にありがとう」と満面の笑みで答えた。
カンパチ(先週)の後に食べた、友人手作りのズッキーニケーキ

 いいニュースはこれだけではなかった。明晩、成績優秀生の表彰式に出るという。これは学業、品行、社会貢献度など全方位の人間性を見て特に優秀と思われる学生を大学側が年に一度選んで表彰するもので、今年はアグネスがその一人に選ばれた。「それは、おめでとう!」とラボ中から歓声が上がった。
 「なんか学校に対してとてもやる気ができちゃって、今日、来学期の英語のクラスの登録までしちゃった」とアグネス。「へえ、どのクラス?」と聞くと「ほんとは取れないクラスなんだけど、その先生の評判がとてもいいので無理して入れてもらったの」「ふうーん、どうやって?」「今学期とった英語の先生がとてもいい先生だったの、で、その先生に『次のレベルを教える先生の中から私に合う先生を選んでほしい』と頼んだら『○○先生がぴったりよ』と推薦してもらったの。そしておまけに今の先生は次の先生のオフィスへ一緒に行って私のことを紹介までしてくれたのよ」。
 私はこれを聞いた瞬間、アグネスには自分で自分の人生を切り開く力が備わっていると思った。駐車違反切符をもらってラボに助けを求めに来た力と次の英語のクラスの先生を選ぶのに今の先生に意見を聞いた力、この二つは一見異なるようで実は同じセルフ・アドボカシーのことを言っている。
 「重ね重ね、今年はいろいろとありがとう。あなたたちがいなかったらこういういい結果にならなかったと思う」と言うアグネスに、「あなたが助けたくなるような人格者だったから、こっちも思わずすべき仕事をしたまで」と言ってお互いによい気持ちで別れた。

セルフ・アドボカシー−自分の要求を(ただ声高に訴えるのではなく)周りの状況や人の気持ちを考慮しつつ理路整然と説明できる能力、行動(著者解釈)

従業員支援プログラム

 最近仕事上でちょっとした悩みが続いた。たまたまハワイ大学機構が「従業員支援プログラム(EAP)」を無料で提供しているという案内メールを見たので、早速問い合わせ番号に電話すると「ではハワイ島東部担当のカウンセラーから連絡がいきますから待っててください」。ハワイ大学機構がホノルルにあるEAP提供会社と契約を結んでいて、離島にもそれぞれ支所があって照会サービスを行っている。そしてその日の午後にはヒロのカウンセラーからメールが来て、週末に会うことになった。それ以来3回、話を聞いてもらいカウンセリングを受けたが、とても役にたった。
 アメリカではEAPは60、70年代にすでに始まっており、現在では中規模以上の会社の多くで提供されている。会社が経費を払うため従業員には無料だ。ハワイ大学機構の従業員は3回まで、私が以前勤めたカリフォルニアの会社では5回までカウンセリングが無料だった。短期カウンセリングで最悪の事態(例:自殺・他殺)を回避するのが最低の目的だからだが、継続して中・長期のカウンセリングを受けたい人、また受ける必要のある人には通常の医療保険を使って被保険者負担額さえ払えば継続できるようになっている。
食べる前←と後↓のカンパチ。ハワイ島の西にあるカイルア・コナではカンパチの養殖場があっておいしいのが安く手に入る。これより大きいと刺身にするのにちょうどいいが、今は小ぶりが主で焼くと美味



 従業員の会社とEAP提供会社の間、カウンセラーと従業員の会社と間には何の利害関係もない。また「誰がカウンセリングをどこへ受けに来たか、話の内容は何だったかなど、一切の個人情報は極秘で他に漏れることはない」と契約書に明記されている。カウンセラーはみな厳しいトレーニングと試験を受けてパスした有資格者のみだから、守秘義務の重要性は熟知しており、話の内容がカウンセリング室の外へ漏れることはありえない。EAP会社は年に一度、このプログラムを利用した従業員の全体数と問題の大雑把なカテゴリーのみ(例・パワハラ)を年次報告書として雇用会社にデータとして提供するだけだ。全従業員の心身の健康と生産率向上を真に考えていれば、こういう情報は会社全体の生産率向上のためにも有益なはずである。
 EAPはアル中などに悩む社員の援助を中心に60,70年代に始まったが、現代の複雑に多様化した企業システムでは多くの従業員が過労、ストレス、リストラなどメンタルヘルスの危機にいつもさらされている。家族問題、健康問題、経済問題、子育て・家事との両立など他の問題とも複雑に絡んで人知れず悩む人は多い。日本でも欝などが社会問題化しているようだが、仕事そのものが忙しすぎてどうしていいかわからずに長期にわたって問題を悪化させてしまっているのではないだろうか。こういう人が増えれば会社全体の労働環境、ひいては会社の生産率にも悪影響を及ぼす、ということでEAPは従業員のメンタルヘルス予防に役立っている(と思う)。身体の病気を長くほうっておけば命取りになるのと同じで、精神的な悩みも早期発見・対処が大事。心も身体の一部で風邪をひくことだってあるさ、とみなが思えるような労働・社会環境を整えることが鍵だ。

EAP ―Employee Assistance Program(エンプロイー・アシスタンス・プログラム)