悟りの瞬間

 しばらく執筆をサボっていて「書かなきゃ、書かなきゃ」と思いながらも瞬く間に時が過ぎもう3月も半ば。普段は「書かなきゃ」という強制的な心情になる前に思いつくことが向こうからやって来てすぐパソコンに向かうのだが、2,3週も過ぎてしまうと書かないことのほうが癖になり、自省心にかられながらもずるずるとまた時が過ぎる。
 こういう欝気分でいたある日、ミシェルが「あなたをインタビューしたいのですが、いいですか」と言ってきた。「へっ、何で」と思い聞いてみると、「ヒューマン・サービスのクラスの宿題で、誰かこの分野の仕事に携わっている人に話を聞いてレポートを書かなければならない」のだという。ミシェルは最近アラスカからハワイへ移住してきたばかりで今学期からの新入生。初めて障害学生サービスセンターを訪れた時に、期せずして手話のできるスタッフ(つまり私)に応対されて印象が深かったのと、クラスのすぐ隣がラボだったという利便性もあって私にインタビューすることを思いついたのだという。
久しぶりに出た虹。キャンパスで

 それで彼女は翌週の授業が終わった後にやって来て早速私をインタビューした。クラスで学んだインタビュー技術の基本にのっとり、私がどこでどうやって育ったか、どういういきさつでこの職業に入ったかなど、私の生い立ちなどをいろいろ質問した後、最後に「この仕事をしていて、悟った!と思った瞬間は何ですか」と言う。
 えっ、と私は詰まってしまった。「うーん、悟りの瞬間☆☆ねー、うーん、うーん、何だろう」としばらくうなっているうちにふと前回紹介したルーディの顔がなぜか頭に浮かんできて「そうねー、『悟った瞬間』とかいわれるとそんな境地にはまだ私は至っていないけど、なぜこの仕事を続けているのかといわれれば、そんな大げさなことじゃなくて、もっとシンプルでささやかなことかな。例えば、ずーっと全く暗い表情だった学生が、あるときふっと満面の笑顔を見せた瞬間、わたしもふっと温かい気分になる。そんなささやかな、一見見過ごしてしまうような瞬間が、ここにいると毎日の学生とのかかわりの中である。その一つ一つが私にとって『悟りの瞬間』かな」と答えた。するとミシェルが大きくうなずいて、いかにもレポートに書くべき内容が決まったという顔をして「どうもありがとう!」とインタビューを締めくくった。
 そのミシェルの最後のうなずきと笑顔がまた私にとっての小さなライトバルブ・モーメントだったことに、あとになって気づいた。人間だれでもささやかなことでいいから少しだけ役に立てたかも、という気持ちが一歩前に進ませる。

ヒューマン・サービスHuman Services―社会福祉・精神保健・介護・カウンセリングなど社会福祉全般に携わる職業分野のことだが、もっと広くには接客業など人と関わるすべての職業を含む
☆☆エンライトンメントEnlightenmentの直訳でちょっと大げさだが、軽くには、ピーンと来た瞬間、あるいは漫画によく出てくる電球がピカッと点いた瞬間のことで、英語でも「アハー・モーメント(aha moment)」とか「ライトバルブ・モーメント(lightbulb moment)」という