「障害者らしく」ない障害者

 ある日ラボに学生が来て、「隣の教室の授業が始まるまで、廊下で座って待ちたいのでいすを貸してくれないか」と言う。見たことのない顔だったので「障害学生サービスセンターに登録してますか?」と聞いた。ラボの備品を見知らぬ人に貸せないし、廊下にいすや家具を出して通路を妨げてはいけないことになっている。「ラボで待てば」と言おうと思ったのだが、センター登録してない学生は使えない。早めにキャンパスに着いた学生は通常、外のベンチで待つか、廊下で立って待たねばならない。彼女は「いや登録はしていないけど、線維筋痛症とかいろいろ痛みを伴う複数の障害がある」と言い、ハンドバッグ一杯の多種多様の薬のボトルを開いて見せた。「あそこにベンチがあるけど」とドアの外を指差すと、そのベンチは遠くて歩くと痛みが走る、と言う。このような堂々巡りの末、私は「あのね、障害学生サービスセンターに登録しておいたら?サービスを使わないかもしれないけど、登録してここのラボをいつでも使えるようにしておいたら便利でしょ?それに、痛みがそんなにあるならテストのときとか大変じゃない?テスト時間延長のサービスを受けられるかもしれないよ」と言った。すると「あら、そういうのがあるとは知らなかった。じゃあ、登録する」。そこで私はセンターの申し込み書と医師の障害証明をもらうための閲覧許可願いを彼女に渡しながら「じゃあ、今日からこのラボを使っていいよ」と彼女に言った。
ハワイ島ヒロの北20分ほどのワイレアという町で年末に餅つき会がある。そこで披露された琉球太鼓のデモンストレーション

 すると彼女は、「講師に『障害があって痛みがひどいから。。』と言ってもあまり信じてもらえない」とさらに話しはじめた。いろいろ痛みがあるために宿題提出期限延長とかお願いしても「君は障害者には見えない、成績もいいし、大丈夫、大丈夫」と無視される。「私、お化粧もちゃんとするから平均的な学生よりもきちんとして見られるのが災いしているのかも」と言う。
 この話は「障害者は障害者らしく」なければ信じられない、という世間一般の障害に対する理解レベルを示唆している。「あなたには見えない障害があって個人交渉だけではなかなか信じてもらえない。だから、障害サービスセンターに登録しておけば、センターから援助サービスを説明した手紙を講師に出すことができるから、あなたの個人交渉にもはくがつくよ。バックアップとしてセンター登録しておくのは悪くないんじゃない?」。それを聞いた彼女は「なるほどね。やっぱりここへ来てみて良かった」。この間約30分。あっという間に授業開始の時刻になって、彼女は隣の教室へ移っていった。
 盲や聾、車椅子の利用者というのは昔からわかりやすい障害者の例として、誰にでもイメージが浮かぶだろう。でも実際は外から見えない障害を持っている人のほうが何倍も多い。「盲・聾・車椅子」など明らかに見える障害を持つ人だけが障害者のすべてではないのだが、世間一般にはまだまだ啓蒙が足りず、大学の講師でさえ上のような反応を示す。ただし、これも見えない障害をもつ人自身が、もっと上記の学生のように自分から説明をしようとする努力をして初めて世間も啓蒙されるというものだ。世間はやはりお互い様である。