重度障害者の発言力

 新しい上司が着任して引継ぎ事項を手伝っている間にあれよあれよと春学期が終了してしまった。終了直前の週は、秋学期のクラスを登録したり、ノートテーカーや手話通訳などの援助サービスを要求する障害学生がたくさんラボを訪ねた。そのうちの3人、ケオ、ラーナ、ダナには重い障害があるためパーソナルアテンダント(PA=介助者)が付き添ってきた。ケオとラーナは春学期からの学生で知的障害がある。新年開講前後の2,3週間はいつもPAが先にラボに入ってきて私と直接話をしたのだが、4ヵ月後の学期終了時には介助者はドアの外で待っていて、彼ら自身がラボに一人で入ってきて私にノートテーカーの要請をしてきた。
 この二人には、連邦政府の障害学生助成プログラムにより通学のために必要なPAが雇われていたのだ。だがPAは障害学生のためにかわりに何かをしてあげる人のことではなく、あくまで黒子に徹しながら徐々に障害学生の独立心と行動力を養成する「介助」をしていた。PA業務の筆頭事項が、障害学生の「セルフ・アドボカシー力」、つまり「自分の障害と必要な援助サービスを理解して、周囲にそれをきちんと要求できる力=合理的自己発言力」を伸ばすことである。4ヶ月間のPAの役割の変化から、ケオとラーナの成長振りがはっきりと見て取れた。

久しぶりに堪能した舟盛

 ダナには思い精神障害があり投薬と心理療法とPAを受けながら生活をしている。彼女は秋学期から学生になるために、夏休みの間もPAと一緒に頻繁にやって来る。先日もPAと一緒に来て「秋学期からの授業にチューター(家庭教師)をつけてほしい」と言う。援助サービスの可否の最終決定権は上司にあるので、「それじゃ上司のカウンセラーに面談予約を取ってあげるから、そこできちんとチューターの要望を言いなさい」と伝えた。ダナのチューター要請は、もちろん最初は、精神保健クリニックかディ・サービスのケース・マネージャーなどから吹き込まれたことかもしれないが、きっかけはどうあれ、障害学生本人がきちんと自分の要望を自分の言葉で伝えられるということは、サービス提供の可否を左右する重要な要因である。アメリカでは18歳が成人年齢なので、大学生はほぼみな法的に成人であり、本人の意思がすべてだからである。
 ダナに個人チューターがつくかどうかは、彼女がキャンパス内の通常のチューター提供所(図書館、ラーニングセンター、コンピューターラボ)のチューターではうまくいかないことを証明しなければならないだろうが、重度の精神障害学生のセルフ・アドボカシーも周囲のサポート機関の一環した援助と教育しだいでは十分に可能であることをダナは証明している。障害の軽重を超え、障害者が必要なサポートを受けるには、何よりも本人の意思決定と発言力がものを言う。