たかが言葉、されど言葉(3)

 2月11,12日についで障害関連の言葉を考察する第3回目。昨日、上司がラボへ来て「最近、うちの住所宛先が問題になっているのよね」と言い出した。何でも、封筒や便箋にあらかじめ印刷されている「障害学生サービスセンター」の中の「障害」が気に障り、そのことを訴える人が増えているという。当センターにはHa’awi Kokua Programという固有名称があって何年も前から使われている。ハワイ語で援助(コクア)を提供する(ハ、アヴィ)プログラムという意味だが、これだけだと何の援助かわからないので、印刷物などに住所を載せるときにはハワイ語の下に英語で「障害のある学生のための」と付け加えてある。
 近年私も気づいたことだが、特に周囲からは見えにくい障害を持っている若い学生を中心に「私には障害なんてないわよ」という反応が増えてきた。高校卒業生で学習障害のある生徒は大概が「えっ、障害?」という反応だ。それで、上司と相談の上、センターの宛名には「障害学生」の語を省くことにした。で、彫刻刀でゴム判のその部分を削るのが私の今週末の仕事となった。

我が家のレタスが食べごろに。後方はトマト。ハワイ島でも標高1200メートルの冷涼地にあるのでグリーンハウスがないと夏野菜はかびてしまう

 障害学生サービスセンターとかそれに類似した名称はアメリカの大学ではほぼ一般的に用いられている。私が15年前に通ったサンフランシスコのカリフォルニア州立大学では「障害学生プログラム」だった。この10年間で障害学生の平均的プロフィールは大いに変化した。学習障害、知的障害、精神障害、戦争で一夜にして障害をわずらった退役軍人などが顕著に増加傾向にある。これに呼応して、受け入れ側の障害学生サービスセンターも「障害」にこだわらずもっとユニークで積極的なイメージのある名称を用いるセンターが増えている。日本でもイメージアップのため、ハローワーク、ウィメンズセンターとか、果ては意味不明のカタカナ名称の社会福祉・生活保護関連プログラムが増加しているのと似ている。
 障害学生サービスセンターは、オアフ島にあるハワイ大学マノア校ではコクア・プログラム、ホノルル・コミュニティ・カレッジはアクセス・プログラムという名称で呼ばれている。私はこの両者のうち後者がとくに好きだ。というのは、コクア(援助)だと、やはり援助を出す側、つまり生活保護提供・行政側の観点になり、アクセスだと、アメリカ人障害者法(ADA)の基本理念にあるように、障害者に不便をもたらす社会の制度やバリアを取り除いて非障害者と同じスタートラインに立てるようアクセス・環境を整える、という意味だからだ。とりあえずは近年の障害学生の意向を汲んで「障害」という言葉を印刷物から取り除く方向に向かったことは良いことだが、真実をきれいな言葉で隠しただけではだめだ。ポジティブな名称とともに、障害者自身が自分の障害を前向きに捉えられるような考え方や態度を身につけられうような教育やアドボカシー運動が以前にもまして重要になってくる。