ユニバーサル・デザイン教育

 この二週間は新学期開講で忙しかったが、やっと落ち着いてきた。昨日の午後、たまった仕事を片付けようと思っていると、ラボに人が来た。聞けば新人の数学講師の一人で、別室の私の上司に相談があったのだが不在だったのでラボに来てみたという。「どんなことでしょうか、もしかすれば私でもお役に立てるかも知れません」というと、「自分のクラスに一人障がい学生がいて、合理的配慮(リーズナブル・アコモデーション)を記した手紙を持ってきた。それによればその学生はテスト時間の延長を受けられることになっていて、もちろん自分はそれに従って彼には1.5倍のテスト時間をあげるつもりなのだが、クラスの前半は講義で後半にそのテストをする。通常20分のテストだから障がい学生には30分ということになるが、そうすると、講義が終わってからテストを始め、20分後には非健常学生は教室を退出し、障がい学生のみが居残ってさらに10分間テストを続けるというようなことなる。。。
我が家の居間。ヘンな形のコタツは布団と丸板と中古のコーヒーテーブルの手作り

自分はそのクラスの直後に別のクラスがあって居残ることができないので彼だけを居残りさせることはできない。また、障がい学生が誰であるかわかってしまうような方法をとるのはいやだし、その学生にとってもそういう注目を浴びるのはいやだろう。自分としてはクラス全員に対して『このテストはだいたい20分でできるようにつくってあるが、もっと時間がほしい人がいればさらに10分使ってよい』と言うことを考えている。だからクラス終了時刻の30分前にテストをはじめようと思うのだが、この方法では何か差しさわりがあるだろうか」とというのであった。
 私はこれを聞いた瞬間、素直に感動してしまった。この講師は、自分の教育方法が障がい学生にどういう心理的影響を与えるかまで考えているし、また、おそらく本人は気づいていないかもしれないが、「すべての学生に時間延長」というのはユニバーサル・デザイン教育の好例なのだ。「あなたのテストが、制限時間内にいかに速くたくさん答えられるかを問うのでなければ、それはとてもよい方法だと思います」と私はその講師に言った。すると「まったくそのとおりで、僕のテストは、学生がいかに内容を理解したかみるもので、答える速さを問うものじゃない」。
 伝統的にテストとというのは、学生(受ける側)の都合よりも、講師や大学(テストをする側)の便宜のために、制限時間がある。この点に気づいている真の教育者はまだまだ多くない。心にさわやかな風が吹きぬけた日だった。