震災ボランティア体験記(3)ー真の支援と偽の支援

 今日11日は日米両国で追悼の日。私にも心の整理がつく出来事があった。6月に宮城県で震災ボランティアしたことがきっかけで、ハワイ島に帰ってからも地元の企業や商店に震災復興のための寄付をお願いしてきた。ハワイ島には日系人が多く(25%でハワイ州一)、今回の震災に胸を痛めている人が少なくない。早速何件かからハワイ島産のコーヒーやマカダミアナッツなどの寄付をいただいた。それをたまたま日本へ帰国する友人・知人に持っていってもらい、宮城の被災した友人宅へ何回かに分けて宅急便で届けてもらった。そして先ほど、最後の寄付品であるお金を日本へ帰る知人に託したことろだった。そして、この3ヶ月間の自分の支援のあり方をしみじみ振りかえった。
 8月初め、何回か目に寄付品を送った頃、その被災した友人から「苦言メール」が届いた。内容は「四畳半二間の我が家にはもう支援物資を置く場所がありません。今では送っていただいた物は、友人に預けたり車のトランクに入れたりしてしのいでいます。お気持ちはありがたいですが、こちらの立場もお考えください」と言うものだった。これにはショックだった。よかれと思って送った寄付品、それもみかん箱くらいの大きさのもの計三つほどなのだが、仮設住宅で暮らすその友人にとっては苦労の種になっていたことに全く気づかなかった。彼によれば、支援物資には送られる側の事情を無視し、送るほうの便宜のために送ってくる『自分勝手な支援』というものが多く、私の支援物資もその中に入っているということだった。こちらとしては「支援」したつもりが却って被災者の「迷惑」になっているを知って脳天をガツンと割られた思いだった。

我が家の前の道。グローリー・ブッシュ(野ボタン)の藪で道がトンネル化している

 この日はすっかり落ち込んでしまい、思考能力が停止してしまったが、翌日改めて彼のメールをじっくりと読み返した。本当に言われたとおりで、みかん箱三つ分が彼の家族の居住空間を占拠して困るかも知れない、などと言う発想は全く欠如していた自分を恥じた。被災者の身にたった本当の支援とはそういう細かいところにまで心を砕いてするものだ、と深く反省した。それには豊かな想像力もさることながら被災者とのコミュニケーションが重要だ。彼にはそのことをきちんと説明して丁重にお詫びのメールを送った。すると、その気持ちが伝わったのか、「身勝手な支援者はポンコツ車のように自分でも処分に困っているようなものをこれ幸いとばかり送りつけてきます。真の支援者は、被災者がどういう生活をしているのか、想像力豊かにこちらの状況を把握をした上で支援します。支援には真の支援と偽の支援の二通りがあることを、僕も被災者になって初めて気づきました」
 彼はその後もメールで、真の支援者に出会ったエピソードなども話してくれた。私は自分が真の支援者でなかったことを恥じたが、逆に、彼がここまで心を開いて支援のあり方について話して(メールして)くれたことをうれしく思った。被災者や被災地の状況を被災者自身の声を通して聞く内容は、大手メディアを通して伝わる情報とかなり違うことにも気づいた。そういう目であらためて日本や海外のニュース報道を見る(聞く)と、「自分勝手支援」側に都合のいいエセ美談がなんと多いことか。今日は、自分の震災ボランティアの失敗を教訓に、これからは共感力のある「真の支援者」になろうと決意を新たにした。