アサーティブ・コミュニケーション

 これまで何度かアドボカシー(7月16日末尾参照)について書いたが、私はこの基本になるのがアサーティブなものの言い方だと思っている。アサーティブは英語の形容詞assertiveで、手元の古い英和辞典には「断定的な;独断的な;強情に主張する」などと、かなり否定的に書かれているが、現在アメリカで聞く限りそういう独善的な意味合いではなくなっている。特に差別を受けた障がい者やDV(ドメスティック・バイオレンス=家庭内暴力)やレイプなど犯罪の被害者たちが立ち上がり、つらい経験を暴露して人権を主張するためそれまでの沈黙を破って声を上げる、というような場面で使われる。そして、被害や差別を受けた人たちが説得力を持って話し、周囲から共感を得るためにはどういう訴え方をするのがよいのか、というので、アサーティブなコミュニケーションが注目を浴びだし、実際そのためのトレーニングも行われてきた。ここ15,6年くらいのことだろうか。日本でも最近、アサーション・トレーニング(Assertion Training)という言葉を見かけるようになった。
 先週チャーリーが(7月9日号)、奨学金がやっともらえたといううれしいニュースをもってきた。過去に二度失敗していて三度目のトライだった。よかったねー、とラボのスタッフみなで祝福。
 チャーリー:二度目に失敗したときに、奨学金団体に電話したんだ。「何で僕がもらえないのかわけを説明してほしい」と聞いたんだ
 私:そしたら?
 チ:「この奨学金は、これから長く社会に出る若い人から差し上げることになっています」とほざいた
 私:へえぇ、そんな年齢差別なこと、21世紀のアメリカでよくも堂々と言えたもんだね〜
 チ:そうなんだ。だからこう言ってやったよ。「僕は60過ぎているかも知れないが、若い頃に数々の失敗をしてきたからこそ、今大学に通うことの意味を充分理解している。その点では若い人には絶対に負けない。そして大学を卒業したらビジネスを起こす決意と資金もあるから、若い人に劣らず十分社会貢献できる」
 私:すごい、すごい、それで?
 チ:「そうでございますか。それではあなた様に今回は奨学金を差し上げます」だとさ
 スタッフ:やったーっ〜(パチ、パチ、パチ=拍手)

ボルケーノ村に咲き誇るグローリー・ブッシュ(別名ラシアンドラ、チボチーナ)。カヒリ・ジンジャーと同じく外来種(南米原種)で、ハワイ固有種の存続を脅かしている。日本では野ボタンといわれ床の間などに飾られて鑑賞されるらしいが、ここでは森林化した藪を毎週のように刈り取る。我が家では切った枝を細かい束にして暖炉の薪にする。
 このエピソードはアサーティブな説得力のある言い方が効果を発したいい例である。冷静になって相手が理解できるように説明したので電話の向こうも見事に納得させられたのだろう。その奨学金団体としては確かに若い人からあげたいという気持ちがあったのだろうけれども。アサーティブ・コミュニケーションのいいところは、それがたとえすぐに効果を発しなくても、本人にはあまり悔いが残らないことだ。「だめでももともと」という気持ちで「あたって砕けろ」式に実行すると失敗しても何もしなかったよりも自分に対して「よくやった」という気持ちになれる。
 私たち障がい者にとって必要なのは、チャーリーのような冷静で相手の立場に立った説得力のあるものの言い方だ。英和辞典にあるような強情で独断的な言い方では誰も納得しない。読み書きもままならない学力のチャーリーだが、彼のアサーティブ・コミュニケーション能力は私も見習わなくてはならない。