何かを変えるということは

 9月3日号でコクア・ラボが西洋近代式の個別テクノロジーラボに変わったと書いた。がその後、あまりに障害学生の評判が悪いのと、学生部長自身が考えを和らげたのか、18日のミーティングの結果、「誰でも利用できるマルチ・メディア・ラボ」に再び変わった。ただし、障害学生でアシスティブ・テクノロジー・プログラムを利用する人が最優先という条件つきである。悪かった評判の中でも多かったのが、「他の普通ラボではコクア・ラボのようなきめ細かいサポートが得られない」というので、追い出されていた学生たちが大喜びでコクア・ラボに帰ってきた。「隣の(普通の)ラボでいろいろ質問すると、周りの学生が『こいつ、こんな簡単なことも知らないのか』という目でチラチラと私のほうを見るので恥ずかしかった」と、里帰りしたアンナが言う。
一日で咲いてしぼんでしまうディ・リリー

 初代ラボは障害学生だけのためのマルチ目的部屋。先代ラボは極端な西洋式個別テクノロジー・ラボ。紆余曲折の結果、この二つのよいところを集め、混んでいなければ非障害者(家族や友人)も使える「誰でも利用できるテクノロジー・ラボ」に、今回晴れてなった。何かを変えるには、利用者の声と支援者全員のサポートがかみ合っていないと無理だ、ということの好例だ。コクア・ラボだけ変わろうとしても、普通ラボのスタッフや非障害学生の理解とサポートがなかったから無理だったのだ。自分ひとりで大変換しようと思ってもなかなか難しいということなのだろう。
 40年以上前にカリフォルニア州で、知的障害者を閉鎖病棟のような大型収容施設から地域社会へ安全に送り出すために、かなりの時間とお金をかけてコミュニティ側のサポート体制を統合的に整えた。そのために法律もつくった。それがグループ・ホームであり、ディ・サービスであり、自立支援コーチであり、ジョブ・コーチであった。日本でもこれから障害児は特別支援学級だけでなく本人や保護者(利用者)の意思を取り入れて普通学級でも支援できるようにするというメインストリーム化の話を聞いた。自分たち(文科省)だけが変わるのではなく、障害児に関わるすべての教育者、非障害クラスメートやその親たち、また地域社会全体のサポートがなければ、この話も絵に描いた餅に終わってしまうだろう。理念を実現するには現実的なプランが必要だ。そのことをコクア・ラボの二転三転の変化を通して如実に感じている。