自殺防止あれこれ

 私の勤める短期大学では在籍する全学生数の約9%に何らかの障がいがある(2011年秋学期調査)。このデータは全米平均11%にやや劣るが、おそらく障がい学生サービスセンターに登録していない「もぐり」の障がい学生数を入れれば全国平均に近くなるだろう。ただ、全国平均ですら自己申告によるデータだからこれも「もぐり」学生を加算すれば15%かそれ以上になるかも知れない。
 さて、障がいのある学生の最近の傾向は「見えない」障がいが増えていることだ。米政府調査データによれば、精神障がい、学習障がい、注意欠陥多動性障がい(ADHD)、内部障がいなど「見えない」障がいをもつ大学生のトータルは、いまや全障がい学生の過半数を占める。
 先週の火曜日、同僚がいつまでたってもミーティング室に来ないのでラボへ行ってみると、奥のほうでレナとひそひそを話をしている。よくみるとレナは泣き顔だ。これは尋常ではなさそうと思ってそのままにした。約一時間後、同僚が来て言うには、レナは「自殺願望が強い」とのこと。家庭問題、経済問題、学業問題など複数の問題が重なってクライシス(危機)状態にあるという。先週は春学期の講義登録週間でとても忙しかったのだが、これは捨てておけぬと判断し、先輩のカウンセラーに報告をした。すると、「じゃあ、明日にでもレナに電話してみよう」とのこと。それで翌日その先輩を見ていると、とてもじゃないがレナにかまけていられないほど超多忙な様子。私も次々とやってくるほかの学生の対応に忙殺されて水曜日は互いに会うこともできなかった。木曜朝、あまりに気になったので、その先輩をつかまえて「レナに連絡してもらえましたか」と言うと、案の定、「忙しくて時間がなかった。今日昼休みに電話する」。それで私は「いや、自殺志願者は何をさておいても先にケアしなければ」と押した。「じゃあ今電話しよう」、とその先輩はレナの携帯にメッセージを残した。約数分後、レナが来た。キャンパスにいたのだ。あたかも私たちが連絡してくることを待っていたかのように。

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 自殺願望の深刻さを調べるのには、1)自殺願望を言葉で表現したか、2)自殺実行に当たっての具体的なプランがあるか、3)そのプランを遂行するのに確実な方法を考えているか(武器や薬物など)、4)過去に自殺未遂の歴史、家族に自殺者がいるか、アルコール中毒や鬱病など他の精神疾患があるか、を質問する。このアセスメント(査定)は今やアメリカの精神保健に関わるものの間では常識になっている。このようにあまりにもストレート(直截)な質問をするのは却って自殺願望をあおる、といったかつての考えは修正されつつある。こういう質問をしたからかえって自殺を遂げたという科学的根拠はまだ発表されていない。逆にこういう質問をきちんとしたことで自殺を防止した、というデータは出ている。
 レナはその後、今日歴史のテストがあるが、別室受験に対して講師が協力的でないとか、家族が協力的でないとか、ストレスが究極に達しているとか、止めどもなく話していって、最期には「シー・ユー・ネクスト・ウィーク」と言って去った。この時点で私たちは「自殺志願者が『また来週』とは言わないよね」と、レナのクライシスがひとまずは終わったことに同意。でも、いつまたクライシスが彼女を襲うとも限らない。ちょくちょく電話して私たちが気にかけていることを継続的に伝えていくことで落ち着いた。
レナは傍目には普通の学生にしか見えないが、心に抱えた傷はかなり深そうだ。障がい者福祉に関わるものとして、人を見た目で判断しない、という初心に帰らされた。