カウンセリングの基本と最大の難関

対話その1
学生:あの、私の英語力では不安なので、ミーティングに通訳をお願いしたいのですが。
カウンセラー
:あら、あなたの英語はとても上手よ。あなたはほとんどのクラスメートよりよくできるわよ。

対話その2
学生:あのとき、A先生がとても恐かったです。言っていることがあまりよく聞き取れなくて「病院」とか「治療」とか、単語ばかり切れ切れに聞こえてきて、「そんなにここがいやなら、学校やめて病院へ行け」って怒られたような感じがしました。
カウンセラー:あら、A先生はとてもいい人よ。声はちょっと大きいけどそういう意味で言ったんじゃないと思うわ。あなたのためにとても心配しているわ。
我が家で採れた大根

 上記の学生はこちらへ来て日の浅い日本人留学生で、「主に異文化適応の問題だと思うが、日本語のほうが楽そうだから、話を聞いてやってほしい」と、B先生から私のところへ照会されてきた。私は障がい学生の担当であって留学生のカウンセリングはしないから、普段はこういうことはないのだが、この学生の英語力が充分でないため、日本語で話ができる人を探していた。それでたまたまB先生と面識があった私にお鉢が回ってきた。学生に会ってよくよく聞いてみると、彼女の担当カウンセラーが上のような対応をしたという。
 対話その1。カウンセラーは学生の英語力を同級生と比較しても、また彼女の在籍しているクラスが最上級クラスであることから判断しても、真実彼女が英語力のある学生と思ったのだろう。が、それはあくまでカウンセラーが自分の感じたことを学生に言ったまでのことである。学生自身が自分の英語力をどう感じているかを受けとめていない。彼女の感じ方を否定したようなものである。「なんだかわかってもらっていないと感じました」と後で私に告白したのも当然だろう。カウンセラーとしては彼女を本当に褒めて励ましたつもりなのだろうが、カウンセリングというのはクライアント(この場合は学生)の言っていることを、解釈したり助言したくなる気持ちを抑え、あくまで本人の言っていることに耳を傾けそのままを受けとめる(そういう感情や思考が存在することをまず認める)ことが基本の第一だ。
 対話その2でも同じように、カウンセラーがA先生を知っていたがために、学生の言っていることをそのまま受けとめずに、カウンセラー自身のA先生観を押し付けた形になっている。もちろんほんとうにA先生の一般的な評判は良いのだろうが、この学生にはそう思えなかったという事実をカウンセラーはまずは認めてあげるべきだったと思う。それからA先生の意図を説明すればよかったのだ。
 カウンセリングというのは、誰が正しいとか間違っているとか、早く問題を解決するために答えを押し付けたりすることではない。往々にしてほかには聞いてくれる人がいないからカウンセリングに来るのであって、まずカウンセラーが「もしかしたら自分しか聴く耳を持っている人がいないのかも知れない」という緊張感をもって、クライアントの話を聴きたい。カウンセラー自身の価値観や邪念が入ってくるのをとことん避け、クライアントの言っていることそのままをありのままに聴く、というのが最も大事でかつ最も難しいことだと思う。カウンセリングの基本と最大の難関は同じなのだ。
 いつもこの初心にかえって人に接することを私も忘れないようにしたい。