終わりよければすべてよし

 4日に今年度の全講義が終わって、木曜日(5日)からファイナル・ウィーク。この一週間の間にすべてのクラスの期末テストが一斉に行われる。普段は宿題をするために来る障がい学生でにぎわうコクア・ラボも今はひっそりとして訪れる人も少ない。それでも講義最終日、常連のチャーリーが顔を出した。「今までいろいろありがとう!」。
我が家のテト(薄茶・♂)とモコ(グレイ・♀)。ハワイ島ボルケーノ村は標高1200メートル。夏場でも夜間は暖炉に火を入れる

 チャーリーは60代半ば、高校卒業後40年以上のブランクを乗り越えて先学期からカレッジに入学してきた。警察の厄介になること多数、ホームレス時代も長かった。でも今は新しい家も自分で建て、専攻の農業学を修めた暁には農場経営者になるのが夢だという(どういう産品にするかまだ検討中だが、エスカルゴの養殖に目をつけている)。今学期の成績がわかるのは後のことなのだが、ようやく1年目を乗り越えた安堵感が表情に表れていた。
 読み書きが苦手で、最も基本の高校復習コースから始めたのだが、それでもいつも苦労していた。タイプできないから人差し指だけの一本指打法で異常に時間がかかるし、打つキーをよく間違える。入学するまでコンピューターを触ったことがなかった。奨学金の申請に長文エッセイを書かなくてはならず、いらいらして私やラボの学生アルバイトに「代わりに書いてくれないか」とよく言ってきたものだ。だが、ラボ職務のルールとして、学習内容に関わることは手伝ってはならないことになっているから、みな同様に「エッセイはあなたが自分の力で書かなくてはならない」というと、ますます欲求不満になって機嫌が悪くなる。それでも一貫して私たちラボ職員は、手伝えるところは手伝い、彼が自分でしなければならないところはそのように諭しつつ、ようやく今学期最終日にいたったというわけだ。
 人間誰でもそうだろうが、彼がいらいらすると聞く耳を持たない。こちらとしては彼によかれと思うことを言うのだが、耳を貸さないから余計自己流で事を進める。はたからみても能率が悪い。「こういう風にしてはどう?」とこちらとしては思うところをきちんと説明したうえで、彼が自分流を選んだのだから、後は野となれ山となれ、というのが私の正直な心境だった。だが、よく考えるとこれは本人にとっていいことなのだ。すべての選択肢を与えられ(説明され)た上で、自分で考えて選択した行動はその人が責任を取らなければならない。他人から押し付けられてしたことが良い結果になればもうけものだろうが、もし良くない結果になれば、「それ見ろ、お前の言うとおりにしたらこうなったじゃないか」とこちらに火の粉が飛んでくる。サポートスタッフとしてはこちらが良いと思う選択肢ややり方をすすめる、ところまでが職務。あくまで本人の意思を尊重するところに福祉の基本はある。
 彼が最後に「今までありがとう」といってくれたことで、私は長い間、苦虫を噛み潰したような彼の顔をすっかり忘れてしまった。