ユニバーサルデザインと合理的配慮

 私の勤めるコミュニティ・カレッジには現在約3,700人の学生が学んでいるが、その8%に当る300人には何らかの障がいがある。これは障がい学生サービスセンターに登録をしている人の数だから、実際には登録していない障がい学生を含めたら10%は超えるだろうと思う(センター登録は自由意志)。登録者の4割ほどにはLD、つまり学習障がいがある。そして彼らのほとんどが、講義を録音するデジタルレコーダーの貸与とテスト時間の延長(1.5倍から2倍)という合理的配慮を受けている。障がいによっては前回紹介したアンディ君のように、個室受験も許される。
 最近気づいたのは、講師の中には、クラス全体に合理的配慮のようなことをしていて、障がい学生がわざわざ自分の障がいのことを持ち出して特別な配慮を希望しなくてすむようなクラスが増えてきていることだ。たとえば、ある美術のクラスではテストのとき、教科書はだめだが自分のノートは見てもよい。そのため、テスト時までに何回か学生のノートを集めて内容の採点もしているという。その講師に聞けば、「教科書は誰が見ても同じだが、ノートというのはその学生がどう講義を理解したかで異なるし、正しく理解したかのチェックもできる」という。これは障がい学生のためにしたことではなく、その講師本人の教育方針に基づいてしていることなのだが、自然の結果、クラス全員にとって学習に役立つ方法になっている。そういえば私が通ったサンフランシスコの大学でもそういうことがあった。ある心理学のクラスで、私がテスト時間延長を願い出たら、「僕のテストは解答の速さを見るのではないから、誰でも必要なだけ時間を使って存分に解答してほしい」とクラス全体に言ったのだ。授業時間を過ぎても残った学生たちには、「次のクラスに差し障るから僕のオフィスに移ってテストを続けるように」とまで付け加えた。もう十年以上も前の話だが、このときの感動は一生忘れないだろう。

朝焼けのキラウエア

ホノルルにあるハワイ大学(マノア校)には、障がい研究センター(Center on Disability)というのがあって、ここで今一番力を入れているのが、教育のユニバーサルデザイン化だ。つまり、もし世界の全教師がユニバーサルデザインを取り入れた講義をすれば、あのADAで保障されている合理的配慮などいらなくなるというのだ。まあ、私たち障がい者には夢のような話だが、できないことではないな、と思った。