悲しみの三段階

 東北大地震があって2週間たつ今でも、近所の人や職場の仲間から「ご家族や友人は大丈夫ですか」と、真に思いやりあふれる質問をされる。今日も車を発進させかけたある教師が車の中から声をかけてくれた。昨日は障がいのある学生から、「まだ幼い子どもを失った親の気持ちを考えると胸がつぶれる」と話しかけられた。この学生は二人の幼児の母親なので、同じ立場の東北の親ごさんたちに深い思いを特に寄せている。
 反面、「明日は日本追悼の日なので、腕など体の見える部分に”日本”と書いて追悼の意を表明するらしいよ」と同僚に言われたこともある。震災後一週間目くらい時のことだったが、なぜかこれを聞いた時私は異常に腹が立った。「いったい誰がそんなことを言っているのか」と聞くと「フェイス・ブック」という。被災地の人々の生々しいサバイバルの現状をニュースで聞くたび、今でもすぐ涙がこぼれてしまうのに。「毎日泣いている人にとっては、日本という文字を体に書いたりして悲惨なことをわざわざ思い出させる必要なんかない」と思わず言ってしまった。
茫漠たる溶岩大地に初めて宿る生命=クプクプ(シダ類)。東北地方太平洋岸にも生命の再生を祈りつつ

 思うに、悲しみというか感情の感じ方には少なくとも3通りある。たぶん死についても柳田邦夫氏あたりがかつて言ったことと似ていると思うが、自分自身に降りかかったことへの悲しみ、家族や友人などよく知る人に対する悲しみ、それと、知らない人に起こった悲しみ、だ。数年前インドネシアを襲った大津波でも何十万という人が犠牲になったが、そのときの私は被害の甚大さにもかかわらず涙は流さなかった。悲しみがまだ客観だった。3番目の悲しみだった。そのとき、「腕に”インドネシア”と書いて追悼の意を示そう」と誰かに言われたら何も思わずにそうしたかも知れない。
 東北大地震後のこの二週間余、いや、いたたまれないニュースが続く限り今後も私は涙を流すだろう。直接自分の家族を失ったわけではないが、知らない人たちのことでも日本というよく知る国の事件だから、家族・友人同様の気持ちになってしまうのだ。第2の悲しみだ。だから自分に降りかかる災難に対してはどう私は悲しむのか想像もつかない。悲しむ方法さえわからないかも知れない。そんなことを思うと被災地の人たちには「がんばって」ではなくて、存分に悲しんで泣いてほしいと思う。