「障がい者らしくない」障がい者

ボルケーノ村の朝焼け

 今日ラボに優等生タクが顔を出した。彼は受講してきたすべてのクラスで優(A)をとっていて、今度の5月で卒業する。夏からはアリゾナ大学に転入が決まっており、聾のお母さんに育てられた影響からか、将来は言語療法士か言語聴覚士(オージオロジスト)になる予定だという。
 で、そのタクが、「障がい者っぽく見えないことで余計に苦労することがある」という。彼には脳性まひがあるが、確かに重いほうではなく、びっこを引きながらも杖なしで歩く。一度ズボン下の足の膝から下を見せてもらったことがあるが、よくこの足で歩いている、と思うほど細く華奢だった。手術の傷跡もあった。
 「障がい者っぽくない」ための余分の苦労とは何か聞くと、障害が充分重くなくて外から見たら普通に見えるが、全く完全に機能しているわけではないので障がい者というより変人と思われる。たとえば彼は長距離の歩行は無理なので、5分以上歩くことになる場合は教室の外からタクシーを利用する。若者の多い大学で外に出たとたんにいつもタクシーに乗る彼を見て不思議そうに眺める人が多い。乗り込むまで普通に歩いて行くからだ。そのほかにも、奨学金の応募資格に障がい者対象、と書いてあっても障害の度合いが低いためになかなか取得できないとか。「障がい者」というカテゴリーに入るためには、外から見てすぐわかる重度の障がいでなくてはならないと思っている人がまだまだ多いということだろうか。全くの聾ではないが完全に聞こえるわけではない難聴の自分とタクの境遇が一瞬重なった。